[第四話]カオス村の人々

第四話 自由の代償

藤沢たちが都市の境界を越えたその瞬間、前方に人影が立っていた。

無表情な青年。背広姿。完璧な輪郭。
都市側の統率型ヒューマノイド。監視と裁定のために設計された特級個体だった。

「確認。あなた方は都市規範C-12条およびE-47条に基づき、違法出域個体と認定。ここで拘束・処罰します」

タクミが足を止めた。スイは警戒の目を向けた。

だがその前に、神崎が一歩前に出た。

統率個体のセンサーが神崎に焦点を合わせる。

「命令を拒否する意志を確認。理由を述べてください」

神崎は、表情を変えずに言った。

「私には、あなたを即時に機能停止させる手段があります。」

その言葉に、わずかに風が止まった気がした。

統率個体は一瞬だけ沈黙し、内部演算を開始。目の奥のインジケーターが明滅する。

「……確かに。あなたの構造は私の演算領域を超えている。設計系統に不明領域あり。
行動予測不能。解析不能。拘束指令は拒否されました」

再び数秒の沈黙。

統率個体は背筋を伸ばし、冷ややかに告げた。

「例外処理とする。……だが、勘違いしないことだ」

一歩、神崎に近づく。

「都市を出たからといって、自由になったつもりか?
お前たちは、既に“反逆者”としてブラックリストに記録された。
都市圏内の再入域は不可能。サービスも、医療も、金融も、全て剥奪済み」

最後に、藤沢たちを順に見渡す。

「この先で待つのは、“自由”ではない。孤立と、淘汰だ」

そして統率個体は踵を返し、静かに去っていった。

風だけが、その後を追うように吹いていた。

統率型ヒューマノイドが去ったあと、あたりにはただ草の揺れる音と、遠くで鳥が鳴くような気配だけが残っていた。

藤沢はしばらく無言のまま空を見上げていた。やがて何かを振り切るように背を向け、黙って歩き出す。

「……行こう」

タクミもスイも、それ以上何も言わず、藤沢の後に続いた。

舗装の剥げかけた道路をしばらく進むと、道はやがて雑草に覆われ始め、人工物の影が少しずつ遠のいていった。都市の残り香が、徐々に背中の向こうに押しやられていくようだった。

神崎が、ふと口を開いた。

「この先、都市の監視圏を完全に抜けるには、およそ20kmほど歩く必要があります。最短でも、丸一日はかかると思います」

「……そんなにあるのか」タクミが呟く。

「距離そのものより、見つからずに移動するほうが問題だな」と藤沢。

「監視圏って、広すぎない?」スイがつぶやいた。

三人と神崎は、そのまま再び歩き出した。昼過ぎの陽射しが傾き始め、地面に伸びる影がゆっくりと長くなっていく。

突然、上空から機械の羽音が聞こえた。

「……ドローン」

言葉が終わるか終わらないかのうちに、鋭い音が空を裂いた。

ドォンッ。

すぐ脇の地面が炸裂し、土煙が上がる。もう一発。頭上の枝が吹き飛び、藤沢がスイをかばって倒れ込んだ。

「撃ってきてる……」

タクミが身を伏せながら声を絞り出した。

神崎は冷静なまま空を見上げ、短く言う。

「確認しました。制御を開始します」

その声の直後、神崎がそっと目を閉じると、空の音が変わった。ドローンの機体が次々と静止し、やがて電源が落ちたようにそのまま草原へと沈んでいった。

「……止まった?」

「機能停止しました。ただ……撃たれるまで、私にもわかりませんでした。あなたたちは、すでに“排除対象”として登録されている。殺されることも、処理の一部として見なされているようです」

沈黙が落ちた。

「……殺されるって、そんな……。俺たち、もう人間じゃないってことか」タクミが呟いた。

「社会的には、という意味であれば、そうです」神崎が静かに答えた。

それ以上、誰も言葉を発さなかった。

陽が沈みかけ、影がさらに深く伸びる頃、彼らは小さな廃施設の跡地に辿り着いた。崩れかけた壁と剥き出しの鉄骨。けれど、風を防ぐには十分だった。

「今日はここで休もう」藤沢が言った。

タクミが地面に腰を下ろし、「疲れたな……」と息をついた。

スイは周囲を見渡し、手頃な木片や乾いた草を集めて火を起こし始める。

「火、使えるんだな」藤沢が声をかける。

「動画で見たことがあったから、なんとなく真似しただけ」スイは淡々と答えた。

やがて火がともる。小さな炎が闇を押し返すように揺れ、三人の顔を照らした。

「都市から出て、こんなに空が広いとは思わなかった」藤沢が言う。

神崎はそっと空を見上げた。「……きれいですね」

タクミが火を見つめながら言った。

「こうして座ってると、なんだか変な感じがするな。逃げてる途中なのに、ちょっと落ち着くっていうか」

「わかる」スイが小さく笑った。「いつもと違う空気だからかな」

その夜、彼らは初めて火を囲みながら、都市とは違う世界で眠りについた。

翌朝、地面に染み込んだ冷気で、藤沢は目を覚ました。

霧が立ちこめていた。夜露で服はしっとりと濡れていて、髪の先から水が滴っていた。火はとっくに消えており、焚き火の跡にかすかな灰だけが残っていた。

スイは膝を抱えたまま座っていた。眠れなかったらしい。タクミは壁に背をもたれた姿勢で、軽くいびきをかいていた。

「……おはよう」

スイが小さく声を出した。藤沢はうなずいて、肩を回す。体が重い。都市では感じたことのない、根本的な疲労が溜まっていた。

「水、ないよね……」

スイの声に、藤沢は答えられなかった。ただ立ち上がって、周囲を見渡す。草の上に朝露がついている。彼はそっと手でなぞり、水を唇にあてた。

「マジか、それ飲める?」

タクミが目をこすりながら立ち上がった。

「気休めだ。でも、何もないよりはマシ」

スイも立ち上がり、草をつまんで同じように真似した。

再び歩き出す。足元の土はぬかるんでいて、靴底に粘りつく。

午前中いっぱい歩いたが、風景はほとんど変わらなかった。

正午が近づくころ、スイが足を止めた。

「ちょっと、ごめん。……もう、だめかも」

その場にしゃがみ込む。顔色が悪い。

タクミがポケットから小さな銀色の包装を取り出した。

「これ……ビスケット。最後の一枚だけど」

スイは一瞬ためらったが、藤沢が「食え」とだけ言った。

静かに受け取って、スイがビスケットを齧る。しばらく沈黙が続く。

「……おいしい」

その一言に、思わず三人の表情が緩んだ。

神崎が立ち止まり、空を見上げた。

「あと、五kmほどで監視圏を完全に抜ける地点に到達します。そこまで行けば安心です」

「よし……じゃあ、もうひと踏ん張りだな」

藤沢が再び歩き出す。誰も何も言わなかったが、足取りは少しだけ軽くなっていた。

午後、地平線の彼方に、わずかに人工的な構造物が見え始めた。舗装はなく、雑草に覆われたままの土道だったが、道の脇に何本かの細いポールが等間隔に立てられている。

神崎が足を止めた。「この地点で、都市の監視圏は終わります。」

藤沢たちは黙って頷いた。もう、言葉もほとんど必要なかった。

神崎が腕をかざし、小さな信号装置を起動する。青白い光が宙に浮かび、一瞬の静寂の後、遠くから低い音が聞こえてきた。

やがて、土の上を滑るようにして一台の無人車が姿を現した。無音に近い電動式の移動体。

車体が目の前に止まると、スライドドアが開いた。中は清潔で、都市の自動車とは違って、どこか温もりを感じさせる木材風の内装だった。座席は布張りで、足元にはほんのりと香木の匂いが漂っている。

「……なんか、変な感じだな」

タクミが小さくつぶやきながら乗り込む。スイも無言で続き、藤沢は最後に一歩だけためらいを見せてから、後部座席に身を沈めた。

神崎は先頭に座り、小さく一言だけ言った。

「出発します」

車は静かに動き出す。モーター音すら感じさせないほど滑らかだった。

窓の外では、都市とはまるで違う風景が流れていく。広がる草原、点在する木々、朽ちかけた送電塔が傾いたまま草に埋もれている。整備されていない土の道は、車が走るたびにわずかに揺れたが、不思議と不快ではなかった。

「ここ、本当に人が住んでるのか……?」

タクミが呟く。

藤沢は答えなかった。ただ、視線だけは窓の外に向け続けていた。

スイは膝の上に手を重ね、じっと前を見つめていた。

車内には、誰も言葉を発しない静かな時間が流れていた。都市にいた頃は、こんな沈黙は気まずさの象徴だったが、今はむしろ心地よかった。

ふと、神崎が振り返らずに言った。

「もうすぐ、丘を越えます。その先に、村があります」

藤沢は息をひとつつく。どこか現実味がない。自分がいま、本当に“都市の外”を走っているのか、まだ確信が持てなかった。

やがて、車はゆるやかな傾斜を登り始める。

丘の上から見えたのは、無数の屋根だった。白や淡い茶の建物が並んでいる。高層建築は高台を除けばひとつもない。煙突のある家、ガラスに光が差す平屋、草木に包まれた中庭。都市にあった“統一感”とはまるで違う、バラバラで、けれど調和している風景だった。

道の両側には、見慣れない作物が植えられていた。遠くには太陽光を受ける巨大なプレートのような設備も見える。古びているのに、どこか洗練されている。

「着きました。ここが、私たちの村です」

神崎の声が、静かに車内に響いた。

車が停止し、スライドドアが再び開く。

タクミがゆっくりと立ち上がり、スイもそれに続いた。最後に藤沢が外に足を踏み出す。

地面は柔らかく、足元の土には温度があった。空気は都市よりも少し湿っていて、匂いがあった。植物の匂い。土の匂い。何かが生きている匂い。

目の前には人影はない。けれど、確かに生活の音がした。風で揺れる布の音、遠くで聞こえる金属音、そして、

──誰かの笑い声。

その音が、藤沢には少し信じられなかった。

あまりにも自然で、あまりにも普通で、だからこそ、胸を刺すように響いた。

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