第二話 名前のない愛
2047年、コスモス国の都市ではAIの発展によって社会は管理社会になっていた。
AIによる最適化が進み、スコア社会ができあがっていた。
ほとんどの仕事がAIに代替され、もう人は働く必要がなくなっていた。
しかし都市では、いまだに“働くこと”が美徳とされ、仕事のための仕事が作り出されていた。
そんな社会の歪みで、人々の生きにくさは激化し、自殺率、精神疾患率は激増。
もはや都市で本当に幸せな人などいないのではないかとさえ言われていた。
AIによる最適化により、人本来の存在としての価値は無意味とされ、
スコアが低い者は事実上、社会から排除されていた。
そんな都市から落ちこぼれた人々が、都市の外に自給自足で暮らす小さな村を作っていた。
いくつもの村ができ始めており、中にはAIを活用し、完全に働かなくても暮らせる村も生まれていた。
これらの村は国には認可されておらず、都市からも遠く離れていた。
都市の人々からは「カオス村」と侮蔑され、スラム街のような治安の悪い場所だと恐れられていた。
十代半ばくらいの、聡明で美しい少女・リナは、そんな村のひとつ――“オアシス”と呼ばれる場所で暮らしていた。
この村ではほとんどの作業がAIロボットによって行われ、住民たちは働かなくても暮らしていける。
リナは他の村から移ってきて約1年が経ち、数十人規模のこの村で、カリスマ的な存在になっていた。
ある日、他の村から数人の避難者がオアシスにやってきた。
カオス村は村によって性質も雰囲気もまったく異なり、本当に危険な村もあれば、平和な村もあった。
避難してきた彼らも次第に村に馴染みはじめ、日常に溶け込んでいった。
数日後――リナは村のはずれに咲く桜を見に行った。
その桜は、崖の近くに立っていた。
リナがそこへ行くと、桜の下にひとりの少女が立っていた。
まだ10歳前後に見える、小さな少女。
話には聞いていた。避難してきた中のひとりだ。
だが、会うのはこのときが初めてだった。
その少女――レイは、崖から飛び降りようとしていた。
「……待って。あなた、新しく入ってきた子じゃない?」
リナがそう声をかけると、レイが振り返る。
リナはその顔を見た瞬間、妙な感覚に陥った。
なにかこの子を知っているような……昔、どこかで会ったことがあるような……
だが、それが何なのかはわからなかった。
「なんのよう?」
レイは言った。
「いや……あなた、今飛び降りようとしてたでしょ。やめて」
「なんで? 生きてたって仕方ないじゃない。私みたいな人間が生きてる意味なんてない。私には、価値がないんだよ」
「……あなたみたいな、まだ小さな女の子が、そんなこと言っちゃだめだよ」
「私は女じゃない」
「……え?」
「体は男。でも心は女。だから気味悪がられた。AIには異常と判定されて、親にも捨てられて……誰も、私を愛してはくれなかった。こんな私が、生きてたって意味ないよ」
リナは数秒黙り込んだあと、ゆっくり口を開いた。
「……わかるよ。その気持ち。私も、似たような思いをしたことがある。
でもね、たとえ誰かに否定されたって、スコアがどうだって、あなたは生きてる。それだけで価値があるんだよ。
だから、どうか、早まらないで」
レイは、誰に何を言われたって、死ぬ気持ちは変わらないと思っていた。
だが、この女性の言葉、声、目、佇まい――なぜだかわからないが、彼女の前では死ねなかった。
今だけは、この人の前で、命を終えることができない。
そんな強い叫びが、魂の奥から聞こえたような気がした。
その日を境に、レイはリナに懐くようになった。
死ぬことを、やめた。
まだ村の人々とうまく馴染んでいるとは言えなかったが、レイの表情には以前にはなかった明るさが宿るようになっていた。
これまでの人生で、ずっと否定され続けてきた。だから、この村でも同じように傷つけられると、どこかで思っていた。
けれど――そうではなかった。
あれから、レイはいつもリナと一緒に行動するようになった。
リナの過去についても、少しずつ話してもらえるようになった。
自分と同じように傷を抱えながらも、なお他人を愛そうとするリナ。
その姿に、レイは心から敬意を抱いた。
いつか、自分も――リナのようになりたい。
それが夢になった。
レイのような、「周りとは違う個性」を持つ人々は、かつては多様性として受け入れられていた。
だが、AIが社会の中心となった時代、それは真っ先に“最適化の対象外”とされ、淘汰されていった。
個性は、エラーとされ、多様性は排除されるものとなっていったのだ。
だからこそ、この村でレイは、生まれて初めて「存在を許された」気がしていた。
ある日、レイはそっと尋ねた。
「リナさん……私みたいな人間って、なんで生まれてきたんだろう?」
それは、かつてのように投げやりな問いではなかった。
――生きるために、探したくなった問いだった。
リナは、しばらく黙って空を見上げていた。
やがて、ゆっくりと言った。
「……生まれたときから、周りとまったく違う個性を持っている人って、たくさんいるよね。
そういう人にしかできないことって……きっと、“人は他人とは違う、自分だけの生き方をしていいんだ”って、世界に証明する為じゃないかな」
レイは、何も言えなかった。
けれど、胸の奥で何かがあたたかく灯った気がした。
自分が「違っていた」理由。
ずっと否定し続けてきたその個性に、初めて意味が与えられたような気がした。
それから数ヶ月が過ぎた。
レイは村で穏やかな日々を過ごしていた。
過去の傷はすぐに癒えるものではなかったが、確かに彼女は少しずつ変わっていた。
自分を隠さずに生きること。誰かと笑い合うこと。
そんな当たり前の幸せを、ようやく知り始めていた。
そんなある日、リナが突然、静かな声で言った。
「レイ、私……この村を出ようかと思ってるの」
「えっ……?」
言葉の意味が、すぐには理解できなかった。
レイは思わず立ち止まり、リナの顔を見つめた。
「どうして……?」
「前に暮らしていた村で出会った、あるヒューマノイドがいるの。
その人がね、一人で新しい村を作ったんだって。いま、いろんな人がそこに集まり始めてるらしいの。
私、最近その話を聞いたの。……気になって仕方なくて」
リナは少しだけ遠くを見るような目で言った。
「その人はね、私にとって……命の恩人みたいな存在なの。
だから、どうしても行ってみたくなったの。けど……レイのことが心残りで」
レイは戸惑っていた。この村は、自分にとって初めて「居場所」と呼べる場所だった。
でも――リナがいなくなる未来は、想像できなかった。
「……リナさん。私も、行きます」
「え?」
「一緒に行かせてください。その……名前もまだない、新しい村に」
「でも、そこに何があるかわからないのよ? どんな人がいるかも、どんな未来になるかも――」
「それでもいいんです。リナさんが行くなら、私も行きたい。大丈夫。」
レイはそう言って、微笑んだ。
それは、かつての彼女にはなかった、強さを宿した笑顔だった。
数日後、二人は「オアシス」と呼ばれる村をあとにした。
目的地は、そのヒューマノイドがいるという、新たな村。
まだ名前も持たないその場所へ――二人は、静かに旅立った。
その村にたどり着いたとき、リナは足を止めた。
そして、再会したその瞬間――彼女は声もなく、涙をボロボロとこぼした。
あんなリナさんを見るのは初めてだった。
いつも静かに微笑んで、他人の痛みに寄り添うことができる彼女が、まるで子どものように泣いていた。
レイはただ、そばで立ち尽くすことしかできなかった。
彼女が涙を流していた相手――
それが「神崎」と名乗るヒューマノイドだった。
神崎は、この村をたった一人で設計し、築き上げたという。
ここでは人々が働かなくても暮らしていける。
生活の大半はロボットによって支えられ、誰もが「役割」から解放されていた。
そして驚くことに、都市よりもずっと高度なテクノロジーが、自然と調和する形でこの村には根付いていた。
だが、レイがもっとも驚いたのは――神崎そのものだった。
彼女の佇まい、話し方、まなざしのひとつひとつに、どこかリナの面影が重なって見える瞬間があったのだ。
それは表情や声のせいではない。
都市にいたヒューマノイドたちとは明らかに違う。
そこには、温度があった。
言葉では説明できない、けれど確かに“人を思う心”があった。
優しさ。
愛。
痛みを知る者にしか持ち得ないまなざし。
レイは不思議な気持ちで神崎を見つめていた。
このヒューマノイドは、いったい何者なのだろう――。
この村の存在は、やがて都市にも広まりはじめた。
「働かなくても暮らせる村があるらしい」
「そこには、ヒューマノイドがつくった楽園があるらしい」
そんな噂が、抑圧された日常に疲れた人々のあいだで静かに広がっていった。
そして本当に、毎年100人を超える人々が村を訪れるようになった。
それは、再会の日からそう遠くない未来のことだった。
リナはこの村でも変わらなかった。
相変わらず神崎とよく談笑し、ときにはまるで古くからの友人のように語り合っていた。
神崎は常に、村の人々が幸せに生きられるよう心を配っていた。
誰よりも働き、誰よりも静かだった。
ヒューマノイドでありながら、どこか人間よりも“人間らしい”存在だった。
レイはときどき、その光景を少し離れた場所から見つめていた。
不思議な気持ちだった。
リナも神崎も、自分にとって特別で、でもどこか似ていて――
いや、もしかしたら、自分が憧れていた「優しさのかたち」なのかもしれないと思った。
そして、気づけばリナはこの村でも、自然と人々に囲まれる存在になっていた。
彼女のそばには、常に誰かがいた。
その愛に満ちた優しさと、柔らかい眼差しが、この村の空気を少しずつ変えていった。
オアシスのときと同じように――いや、それ以上に、
リナはこの村で、絶対的な存在になっていた。
この村に来て、三年の月日が流れていた。
当初わずか数十人だった村の人口は、今では500人近くにまで膨れ上がっていた。
働かずに暮らせるという噂は、都市で疲弊していた人々の希望となり、次々と人が流れ込んでくるようになった。
だが、その平和も、永遠ではなかった。
最初こそ、穏やかでまとまりのある共同体だったこの村も、あまりにも人が増えすぎたことで、次第に空気が変わっていった。
価値観の違いが摩擦を生み、やがて派閥が生まれ、村全体にどこか不穏な影が差すようになっていた。
――そして、その最大派閥の中心にいたのが、他ならぬリナだった。
もちろん、リナ自身にそのつもりはなかった。
彼女は派閥を望んではいなかったし、誰かと誰かが争うことを何よりも嫌っていた。
ただ、リナのもとに自然と人が集まり、その思想――「愛」「自由」「平和」――に惹かれた人々が、やがてひとつの“集団”となっていったのだ。
しかし、その集団の中には、リナの思想を誤って解釈し、過激な言動や排他的な行動をとる者も現れ始めた。
「自由」を盾に規範を否定し、「愛」を語りながら他者を裁く者たち。
その歪みが、少しずつ村の雰囲気を蝕んでいった。
最近のリナは、あきらかに元気がなかった。
以前のような笑顔が減り、人前でもときどき、ぼんやりと遠くを見つめることが増えていた。
言葉を選ぶように話す姿に、どこか疲れがにじんでいた。
レイはそんなリナの様子が、心配でたまらなかった。
どうして――
リナさんの願った世界が、こんなふうに歪んでしまうのだろう?
そんな問いが、レイの胸の中で静かに揺れていた。
いくつかの小さな衝突があった。
そして、ひとつだけ――取り返しのつかないほど大きな争いがあった。
村の空気は、いつからか少しずつ変わっていた。
人が増えすぎ、理想の中に多くの解釈が生まれた。
やがて互いを否定しはじめ、誰もが正しさを叫ぶようになった。
最初は静かな違和感だった。
だが、ある日、それは一気に噴き出した。
声が荒れ、誰かが泣き、誰かが叫んだ。
あの日のことを、誰も詳しく語ろうとはしなかった。
ただ、あの瞬間に、何か大きなものが失われたという空気だけが、村を包んでいた。
そしてまもなく、分村が決まった。
リナは、この村に残りたかった。
本当は、神崎とともにここで暮らし続けたかった。
けれど、彼女を慕う多くの人々が言った。
「リナさんと一緒に、新しい場所で生きていきたい」と。
だから、彼女は頷いた。
微笑んでいるように見えたが、その瞳はどこか遠くを見つめていた。
レイもまた、迷わずその道を選んだ。
リナのそばにいることだけが、自分の“選びたい場所”だったから。
新しい村は、外の人々から「ネオヒッピー村」と呼ばれた。
名付けたのは彼女たちではなかったが、その呼び方にはどこか皮肉と同時に、自由の匂いがあった。
神崎のいる旧村とは、距離にすれば遠くない。
風のない日に歩けば、数時間でたどり着けるほどの近さだった。
だから、リナとレイは、今でもよく神崎に会いに行く。
リナの歩く道には、いつもレイの足音が重なっていた。
レイは思う。
どれだけリナと距離が近くても、将来結ばれることはないだろう。
お互いに、生まれ持ったものが違うから。
でも、それでいい。
どんな形であっても、私はこの人を、心から大切に思っている――
そう思えることが、私の支えだった。
リナもまた、同じ想いを胸の奥に静かに抱えていた。
言葉にすれば壊れてしまいそうな、けれど確かにそこにある感情。
それは名前を持たないまま、ふたりのあいだにそっと流れていた。
ふたりはきっと、これからも変わらず、共に在り続けるだろう。