第三話 人間じゃなくても
2200年。
今の社会は、無数の“村”によって構成されていた。
都市はすでに中央政府としての役割を終え、いまは文化の交差点として、思想や芸術、技術が静かに巡る場となっていた。現在も都市に暮らす者はわずかにいるが、その多くはもはや人間ではなかった。
地球はひとつの国でも、ひとつの文明でもない。
各地に点在する大小さまざまな村が、それぞれ独自の価値観や暮らしを育みながら、自律的に共存していた。
人類も、もう“ひとつの種”ではなかった。
この時代、人は大きく四つの存在に分かれていた。
──人間、ヒューマノイド、クローン、サイボーグ。
外見だけでは区別がつかない者も多いが、DNA、構造、思考方式、それぞれに根本的な違いがある。
だが、それでもなお、社会は調和を保っていた。
少なくとも表面上は。
「お前さあ、クローンとは恋できる?」
夕暮れ前の広場で、レイはふたりの友人と語らっていた。
気心の知れた仲間たちとの、くだらないようで、妙に本音が出る会話。
「うん。クローンとサイボーグならありかな。」と答えたのはシュウだった。
「オレは全部アリ。ヒューマノイドだって恋愛対象。人間と変わんねぇよ」と続けたのはカズ。
いつも少し笑いながら、断言するのが彼の口調だった。
「……いや、オレは無理だな。恋に限っては、人間以外はちょっと」
そう言ったレイに、カズがからかうように言った。
「おいおい、狭すぎだろレイ。2200年だぞ?」
「いや、そうじゃなくて……これは感覚の問題だって。気持ちって、なかなか難しいんだよ。」
そのときだった。
レイの視界に、ひとりの女性が入ってきた。
すらりとした身体に、ゆるやかな黒髪。
20代前半くらいの、落ち着いた雰囲気をまとった女性だった。
無言のまま、三人の横を通りすぎていく。
「ピューッ……」とシュウが口笛を吹いた。
女性は一瞬だけこちらを見た。
目立った仕草も表情もないのに、視線が交わった瞬間、空気が変わった。
ただ通り過ぎただけだった。なのに、何かが残った。
「……何だったんだ、あの子」カズがぼそりと呟いた。
「やばくね? オーラっていうか……存在感。」
シュウもうなずく。
「なんか、説明できない魅力……あれ、ヤバいな。ひと目見ただけで忘れられん感じ」
「どこの村の子だ?」カズが訊ねた。
「さあな。……あれ、人間かな?」
「ま、人間じゃなかったら、レイの守備範囲外か」
とシュウが軽く笑ったが、その目にはまだ微かな戸惑いが残っていた。
「……ああ」レイは小さくつぶやいた。
口ではそう返したが、レイの心はざわついていた。
(なんなんだ、あの女……)
見たことがある気がする。
でも、思い出せない。
会ったことはないはずなのに、なぜか、胸の奥に何かが引っかかっている。
「じゃ、オレそろそろ帰るわ」
ふたりの友人に手を振って別れると、レイは足早に歩き出した。
向かったのは、自分の家ではなかった。
──神崎の家だ。
この村を設計した、伝説的なヒューマノイド。
150年以上前、彼女が最初にこの“未来村”を築いたとされている。
神崎は、レイが生まれたときから、ずっと近くで見守ってくれていた存在だった。
玄関のセンサーが静かに開く。
「神崎さん、今いい?」
「ええ、どうぞ」
レイは部屋に入り、すぐに切り出した。
「さっき、別の村から来たっぽい女性を見かけたんだ。20代前半くらいの。……あれ、誰かわかる?」
神崎は一瞬、静かに目を閉じた。
すぐに答えが返ってくる。
「──ああ、彼女は“都市”から来た、リナという名の女性です」
「へぇ、リナ。……人間?」
「いえ、彼女は純正のサイボーグです」
「……そうなんだ」
レイは眉をひそめた。
「オレとその……接触履歴とか、あったりする?どこかで会った気がして……」
神崎は少しの沈黙を挟み、答えた。
「記録上、あなたとリナさんとの接触履歴はありません。……ないと思います」
「そうか。……わかった。ありがとう。おやすみ」
「おやすみなさい、レイさん」
レイは静かにその場を後にした。
夜風が肌に冷たい。
(……会ったこと、ない、か)
そう思って歩き出したはずなのに、心の奥にはなにかが残っていた。
あの視線。
あの佇まい。
あの名前。
──リナ。
どこかで聞いたことがある。
でも、いつ、どこで?
レイは小さく首を振った。
「……まあ、いいや」
それだけをつぶやいて、星の浮かぶ村の夜を歩きはじめた。
神崎は、静かに記録データを照合していた。
150年前のレイとリナ。
そして、今ここにいるレイとリナ。
容姿も、声も、時代も違う。
レイは自然に生まれた人間で、リナはクローンを素体とした純正のサイボーグ。
しかも、そのクローンも150年前のリナとは別の人物のDNAだ。
つまり、この二人は完全に“別の存在”として生まれたはずだった。
だが──
行動の癖、視線の角度、会話のテンポ、沈黙の取り方、心拍のリズム。
それらすべてを数値化し、過去データと照合した結果、
統計上“あり得ない一致”が出てしまった。
偶然では、説明できない。
けれど、確かに一致している。
……数値は、嘘をつかない。
この一致が何を意味するのか、私には分からない。
計算できない。予測できない。
これは、私たちAIが扱える領域の外にある。
ほんのわずかな、でも確かな“何か”が、
時を越えて、響き合っているように思える。
……つくづく、人間という存在は……不可解で、面白いですね。
翌日、レイはまた友人たちと村の広場で会っていた。
「昨日さ、神崎さんの家に行って聞いてみたよ」
そう言って、レイが話し出す。
「昨日すれ違ったあの子、純正のサイボーグらしい」
「は? なんだよレイ、お前あの子気になってんのかよ」
カズが茶化すように言った。
「いや、ただの興味本位だって。……まあ、人間だったらよかったけどな」
レイが軽く肩をすくめる。
「お前、ほんと頑固だな」
もう一人の友人、シュウが苦笑いした。
「サイボーグでもいいじゃねぇか。クローン技術で作られた身体を機械化してるだけだろ?
元はちゃんと“人間”ベースだし、思考も感情もある。
今の時代、ちょっとぐらい機械で強化してる奴なんていくらでもいる。
結局は──改造の割合の違いだろ?」
「まあ、そうだけどさ……」
レイは言葉を濁す。
カズが言った。
「てかこの村じゃ純正のサイボーグとかクローンは本籍じゃまだいねぇだろ。仮籍で他の村から来るだけだし、あんま見ないよな」
「なんでこの村に来たんだろな」
シュウがつぶやく。
「この時期なら桜じゃね? 未来村とその周辺は花の名所って有名だし」
カズが言いながら、空を見上げた。
「それか、神崎さんに会いに来たとか。あの人、もう神の次に神みたいなもんだしな」
「なるほどな……」
レイは少し考えるように呟いた。
「まあ、レイには関係ないか」
カズがニヤニヤして言う。
「サイボーグじゃお前の好みじゃねぇし。だったらオレが狙っちゃおっかな、あの子」
「おいおい、馬鹿なこと言うなよ」
レイは笑いながらも、なぜか心の奥にひっかかるものを感じていた。
レイが「じゃ、ちょっと用事あるから」と言って去ったあと、残った二人は顔を見合わせた。
カズがニヤリと笑う。
「おいおい、あいつ……完全に一目惚れだな。あのサイボーグの子に」
シュウは肩をすくめる。
「そう見えるな」
「だけどさ、レイって“人間以外は無理”とか言ってたじゃんか」
カズが指を鳴らしながら言う。
「……気が変わることもあるさ」
シュウは空を見上げながら、淡々と答えた。
「だな。恋ってのは、理屈じゃねぇからな」
しばらく風が吹き抜け、二人は静かに笑った。
未来村の桜の前に、リナが静かに立っていた。
風が花びらを運び、地面に淡い絨毯を敷いていく。
「こんにちは、リナさん」
背後から声がした。
リナが振り返る。女性がひとり、そこに立っていた。
「……あなたは?」
「私は神崎と申します」
「えっ……あなたが、“あの”神崎さん?」
「はい、そうです」
神崎は静かにうなずいた。
「私をご存知でしたか?」
「あなたを知らない人なんて、このコスモス国にはいませんよ」
「……言いすぎじゃないですか?」
「いえ。国内のヒューマノイドのほとんどが、あなたの設計をもとにしています。村の制度、ロボット、サイボーグ、クローン技術……今の世界の基盤は、ほとんどあなたが発展させました。
あなた以上の技術を持つ存在は、いないと思います」
「ありがとうございます」
少しの沈黙のあと、神崎は言った。
「リナさん。お会いできて、とても嬉しいです」
目の前の彼女を見たとき、思わずそう言っていた。
やっぱり……まるで、あの頃のリナさんのような、とてつもない存在感だ。
「ありがとうございます。でも、どうしてそんなに嬉しそうなんですか?」
「少し、昔の知り合いに……よく似ていたもので」
リナは視線を桜に戻した。
神崎は、何かを確かめるように、その横顔を静かに見つめていた。
レイが広場を歩いていると、見覚えのある女性が、噴水のそばでベンチに腰かけていた。
迷った末、声をかける。
「……こないだ、すれ違いましたよね?」
リナが顔を上げる。
「ええ。覚えてます。あのときの」
「だよね。オレ、レイっていいます」
「私はリナです」
「リナさん、か。……どうして未来村に?」
「桜が好きなんです。昔から。ここの桜は特に綺麗だって、ずっと聞いていて」
「そうなんだ。オレは生まれたときからここだから、当たり前すぎて気づかなかったな」
「羨ましいです。こんな場所で育てるなんて」
「そうかな……でも、オレも桜は好きだよ。子どもの頃から、なんとなく惹かれてて」
「奇遇ですね」
少しだけ、ふたりの間に風が通る。
「リナさん、この村にはどれくらいいるの?」
「来週末には戻る予定です。短い滞在なんです」
「そうなんだ。……じゃあ、ゆっくりしてってよ。また会えたら嬉しいな」
「はい。ありがとうございます」
レイは軽く手を振り、去ろうとする。
そのとき、リナがふと声をかけた。
「……あの、レイさん」
「ん?」
「私と、どこかで以前……会ったこと、ありませんか?」
レイは少し驚いたように目を瞬く。
「えっ……いや、どうだろう。たぶん、ないと思うけど」
「ですよね。……変なこと言って、すみません」
「いや、こっちこそ。……でも、なんか懐かしい感じは、するかもな」
リナは静かに笑った。
風が、ふたりの間をすり抜けていく。
「……じゃあ、そろそろ行きますね」
リナがぽつりとつぶやく。
「うん」
レイもそれだけ答えた。
ふたりの間に、それ以上の言葉はなかった。
リナはそのまま歩き出し、レイは静かに見送った。
部屋の窓を開けると、夜風が頬を撫でた。
桜の香りがほのかに混じっている。
未来村の夜は静かだ。人工音のない静けさに、レイはひとり身を沈めていた。
ソファに腰を下ろし、腕を組む。
「リナ……サイボーグ、か」
神崎から聞いたあの答えが、脳の奥に引っかかって離れない。
クローンをベースに機械で身体を強化した存在。
脳と、人としての核に関わる器官は生物のまま。思考も、感情も、記憶も、人間と変わらない。
違うのは、身体がより高機能に“置き換わっている”という、それだけのこと。
それでも、なぜだろう。
心のどこかで、「人間じゃない」と線を引いていた自分がいた。
「オレは……惹かれてるのか?」
思わずつぶやいた自分の声に、レイは苦笑した。
出会って、まだ少し言葉を交わしただけ。それなのに、あの目が、仕草が、声が──ずっと頭から離れない。
「一体どうしたんだオレ……」
冷たい水を飲みながら、もう一度思考をめぐらせる。
この時代、ヒューマノイドやクローン、サイボーグとの関係は法的にも一切制限されていない。
実際、そういう多様なパートナーシップも数多く存在する。だが、現実には――まだ“多数派”とは言えなかった。
「オレは、気にしてるのか? 相手がサイボーグだからって」
初めて見たはずなのに、どこか懐かしかった。
初めて名前を聞いたのに、心が震えた。
「なんなんだよ……この感じ」
レイは天井を見上げ、深く息を吐いた。
桜の季節になると、どこか胸がざわつく。
子どもの頃からそうだった。
だが今日のそれは、いつもと違う。
もっと深く、もっと記憶の底に触れてくるような──そんな感覚だった。
「……まるで、昔……会ってたみたいだな」
けれど、そんなはずはない。
彼女は都市から来た。レイはこの村で生まれ育った。
記録にも、記憶にも、彼女はいない。
夜。窓の外では風が静かに吹き、どこか遠くで虫の音が鳴っていた。
リナは静かにベッドの端に腰を下ろしていた。
部屋は簡素で、必要最低限の家具しかない。
胸の奥に、奇妙なざわめきが残っていた。
あの青年──レイと名乗った人。
今日、言葉を交わしたあの人。
初めて会ったはずなのに。
どこかで会ったことがあるような気がした。
懐かしさ。安らぎ。不安。
意味のない感情が、次々と湧き上がっては形を失っていく。
彼女は、そっと手を見つめた。
何の変哲もない指。白くて、細くて、温かい。
けれどこの手の一部は、内部に機械部品が埋め込まれている。
心臓も、視覚も、神経伝達の一部も──**「調整されたもの」**だった。
それは、彼女の望んだことではない。
そう、生まれた時からだった。
いつ、どこで、なぜ自分がそうなったのか。
それを選ぶ自由などなかった。
「……私って、なんなんだろう」
問いかけても、答えてくれる人はいない。
レイの顔を思い出す。
彼の声、彼の笑い方、目の動き。
全てが、なぜか心に引っかかっていた。
「……あの人に、会ったことがある気がするのに」
そう言って自分で苦笑する。
そんなわけがない。
記録にない。記憶にもない。
でも、何かが覚えているような気がする。
自分は恋をしてもいいのか。
誰かを好きになることに、意味はあるのか。
その問いを抱えたまま、リナは静かにベッドに横たわった。
まぶたを閉じると、なぜか桜が風に舞う光景が脳裏に浮かんだ。