『シャウト』――この世界の神話
第一話 救済
2042年コスモス国の都市。
日常のほとんどがAIに代替された時代で
ピコは、誰にも“感情”というものを共有してもらえなかった。
ピコは、学校でいじめられていた。
無視され、陰口を言われる毎日。
目立たず、地味で、大人しい――それだけで、いじめの標的になった。
友達は一人もいない。誰かがピコと話せば、その子も巻き込まれるかもしれない。
だから、誰も近づこうとしなかった。
休み時間も、昼食も、グループ分けも、いつだって独りぼっち。
教室の中でピコの居場所は、最初からなかった。
帰宅後、部屋にこもって泣いた。
大好きだったアイドルグループの曲を聴きながら、毎晩、涙を流した。
もう何をどうしても救われない気がした。
そのグループはすでに解散していたが、メンバー全員がピコの通う学校の卒業生だったため、学校でも話題になることが多かった。
でも、どれだけ泣いても、何も変わらなかった。
涙は溢れ続け、心はどんどん弱くなっていく。
――もう全部投げ出したい。
――せめて、いつか笑いたい。
――だけど、私は無価値な人間なんだ。
――なんかもう、生きることに疲れた。
家でも、心休まることはなかった。
母親は叱るたびにピコの頭を叩いた。
一度も、認めてもらえた記憶はない。
父親は無関心で、弟だけが母に愛されていた。
ある日、ピコは仮病を使って学校を休んだ。
それほどまでに、心が限界だった。
「もう少しだけ頑張ろう」
そんな思いも、もうすぐ限界だった。
「今日、学校が爆発すればいいのに」
「飛行機でも突っ込めばいいのに」
そんな過激な願いさえ、心に浮かぶようになっていた。
翌朝、母親に言われ、仕方なく学校へ行った。
また陰口が聞こえる。明らかに、自分に聞かせるように。
「大丈夫、大丈夫、私はまだ大丈夫」
そう自分に言い聞かせ、心をごまかした。
その日の最後の授業前の休み時間。
トイレから戻ったピコの机に、一枚の紙が置かれていた。
――「死んでください」
たったそれだけの言葉だった。
でも、それを見た瞬間、ピコの心は崩壊した。
授業中、何も聞こえず、何も見えず、ただぼんやりと時間が過ぎていく。
放課後。
生徒たちが帰っても、ピコは動けなかった。
一人きり、教室に取り残されていた。
「もう、私は大丈夫じゃない」
そう呟いて、窓辺に立った。
飛び降りて、すべてを終わらせようと決めた。
こんなとき、大切に育ててくれた親がいたなら、躊躇できたかもしれない。
でも、私にはそれがなかった。
「……お願いだから、死ぬことを躊躇させてよ」
――その瞬間。
スピーカーから音楽が流れた。
時刻は17時ちょうど。
この学校では、チャイムの代わりに一曲の音楽が流れる。
それは、ピコが夢中になって聴いていた、あのアイドルグループの曲だった。
—
『世界は広い』
狭い世界が、自分の中で世界のすべてだって思ったりする。
ここが自分の居場所で、ここにしか居場所はない。
そう思ってるかもしれない。
でもね、本当はね、世界は広いんだよ。
キミは檻の中にいるように思えても、世界は広いんだよ。
泣きたいとき、いつだって泣いていい。
逃げたいとき、いつだって逃げていい。
泥まみれになって、人から後ろ指さされたっていい。
孤独になったって、みんなと違う生き方だっていい。
きっといつか、「世界は広かった」って気づくから。
きっと、自分だけの道をたった一人歩んだとしても、
その道の先で、同じような思い抱えた誰かと会えるから。
大丈夫だよ。世界は、広いから。
でもね、わかるのは、もっと後だよ。
キミが今、涙に濡れ、悲しみ苦しんでるとしたら、
その気持ち、忘れないでもっていて。
きっといつか、キミが誰かを救えるから。
世界は広いよ。きっと未来で、誰かがキミを待っているよ。
キミがボクの歌を聴いたように、
きっと誰かが未来で、キミから何かを受け取りたがっているよ。
—
その歌を聴いた瞬間、ピコは崩れるように泣き出した。
しゃくりあげながら、ただ泣いた。
誰もいない教室で、音楽だけが優しく流れていた。
「……もう少しだけ、もう少しだけ頑張ってみよう」
そう呟いて、ピコは窓から離れた。
—
ピコの状況は、それからも大きく変わることはなかった。
学校では相変わらずいじめられ、家では冷たくあしらわれる日々が続いた。
けれど、ほんの少しだけ、心の奥に灯る光があった。
「ピコって、声だけは綺麗だよね」
そんな言葉を、何度か耳にしたことがあった。
その言葉を支えにするように、ピコは歌に惹かれていった。
歌うことで、誰にも言えない気持ちが少しずつ吐き出せる気がした。
やがて歌手になりたいと思うようになり、
独りで部屋にこもって歌の練習をしたり、
スマホでダンス動画を見ながら体を動かしたりする日々が始まった。
作詞や作曲にも挑戦するようになり、
気がつけばピコは、何かに夢中になる時間を手にし始めていた。
自分を少しでも好きになりたくて、ダイエットも始めた。
化粧の仕方を学ぶために、動画を繰り返し見ては鏡の前で練習した。
やがて2年が過ぎ、ピコは高校を卒業した。
卒業と同時に地元を離れ、就職し、一人暮らしを始めた。
昼は真面目に働き、夜はアイドルや芸能人を育成する養成所に通う日々。
何度も不安になったし、くじけそうになった。
それでもピコは、
あの日、自分を救ってくれた“あの歌”を思い出しながら、
夢を追いかけていた。
—
ある日、ピコは街を歩いていた。
そのとき声をかけてきたのが、彼だった。
彼は、ピコのすべてを初めて肯定してくれた。
「君は君のままでいい」
そう言って、ピコを愛してくれた。
突然の出会いに最初は戸惑ったが、ピコはこれが運命だと感じた。
心の奥に差し込んだ一筋の光。
それは、生きていて初めての“愛されている実感”だった。
やがて、ふたりは一緒に暮らし始める。
ピコは幸せだった。
この人となら、自分を信じられる気がした。
――しかし、それも長くは続かなかった。
ある日、仕事から帰宅したピコが自宅のドアを開けると玄関に見知らぬ女の靴があった。
彼が、他の女を家に連れ込んでいたのだ。ピコはすぐにドアを閉め走り去った。
すべてが音を立てて崩れた。
信じていたものが、一瞬で裏切りに変わった。
心が、バラバラに砕けた。
その崩壊の時にすがったのは、かつてピコを支えてくれた――
あのアイドルグループの音楽だった。
イヤホンをつけ、涙を流しながら毎晩その曲を聴いた。
どれだけ泣いても、絶望は止まらなかった。
それでも、ある夜ピコはふと誓った。
「もう、私、絶対に泣かない」
そして、ピコは曲を書いた。
—
『強がり』
人など信用しない 絶対に
人など愛さない 絶対に
涙など見せない 絶対に
だからボクが悲しむことはない
誰かが僕を裏切っても
ボクが落ち込むことはない
誰かがいなくなっても
ボクは泣くことはない
何があったとしても
ボクを心から愛してくれる人はいない
ボクが人を心から愛さないから
ボクは人を愛せないから
誰かを愛することはない
なぜならボクは怖いから
裏切られたから 心が壊れたから 泣きつづけたから
また愛を失うことが怖い 臆病な人間だから
裏切られるのが怖い
だから強がって 仮面つけて
誰も愛さないと決めた
愛を失いたくない
だからボクは人を愛せない 愛さない
教えて欲しい 愛し方を
人をもう一度愛す 勇気を
傷ついても立ち直れる方法を
自分の弱さ 認められる強さを
変わらぬ愛の形を
—
彼の裏切りから、すでに数カ月が経っていた。
それでもピコの心は、まだ壊れたままだった。
初めて自分を肯定してくれた――そう信じた相手に裏切られた痛みは、人生の全てが崩れ落ちるほどの衝撃だった。
2044年、コスモス国の都市。
そこではすでに、人間の“生きにくさ”は限界を迎えていた。
AIが静かに社会を支配し、あらゆる判断が“生産性”を基準に下されていた。
全てが数値化され、スコアによって人の価値が定められる。
人は“AIが正解とする生き方”から逸脱できなくなり、個性や多様性、弱さまでもが排除される社会が完成していた。
そんな冷たい世界の中で、多くの人が心を病み、精神疾患や自殺はもはや異常ではなくなっていた。
やがて、“都市”という檻から脱出しようとする者たちが現れた。
コスモス国の外に、新たな生き方を模索する人々が「村」を作りはじめていた。
その一つが、皮肉を込めて“カオス村”と呼ばれていた。
ピコは、自分の痛みと向き合いながら、ネットで同じように苦しむ人々とやりとりを重ねていた。
かつて自分を救ってくれたアイドルのように、自分も誰かの痛みに寄り添える存在になりたい。
その思いだけが、心の支えだった。
やがてピコは、同じように“生きにくさ”を抱えるタクミという男性と出会う。
何度か言葉を交わすうち、彼の優しさに、ピコの心は少しずつほどけていった。
そしてピコは、自分の夢――「苦しんでいる人を、救える存在になりたい」と彼に語った。
そんなある日、ピコは養成所で才能を見出され、スカウトを受ける。
彼女にはもともと“声”という武器があった。
澄んだ声と、誰かの心に触れるような歌唱力。
さらに、かつての地味な少女は、すでに垢抜けていて、人目を惹く存在になっていた。
スカウトの内容は、アイドルグループの新メンバーのオファーだった。
だが、提示された音楽の方向性は、ピコの目指すものとは違っていた。
彼女は「誰かを救う音楽がしたい」と訴えたが、返ってきたのは冷静な現実だった。
――“今の時代、AIが正解と見なす音楽しか、表舞台には出られない”――。
その言葉に、ピコは絶望した。
私は、誰も救えないのか。
それでも、強引な勧誘と周囲の熱意に押され、ピコは参加を決意する。
中途半端なまま、REMUというアイドルグループに加入することになった。
そんな時、タクミから「また会わないか」と連絡が入った。
けれどピコは、迷いと葛藤の中にいた。
こんな自分は彼に会う資格なんてない――
返信はできなかった。いや、する勇気がなかった。
それからの2年は、まるで嵐のようだった。
REMUは一気にスターダムを駆け上がり、ピコはそのセンターとして、国中の人々に知られる存在となった。
だが、成功の光の中で、ピコの心には常に影があった。
自分が本当に届けたかったものは、これなのか。
誰かの痛みや苦しみにこの歌で、寄り添えるのか。
そして2046年――
ピコは決意する。
名声も金も、スコアもすべてを捨てて、REMUを脱退した。
それは、自分を取り戻すための、ほんとうの始まりだった。
ピコはまた自分で曲を書いた。
−−−
『幻想』
どうして 僕ら
幻想の世界に 生きる?
夢 希望 願望 成功
勝ち 負け
そんなもの
どれほど追い求めても
幻想だと 知らずに
くだらないモノサシで
どれほど比べ合ってきたんだろう
目標を作って
追い求めて
輝いて 煌めいていたものは
手に入れてしまったら 幻想だとわかり
また 幻想を求め続ける
幻想が 幻想だと知った瞬間
人は 壊れる
世間のつくり出した
「成功」や「幸せ」のカタチに
縛られないでいて
“みんな”という言葉を
信じすぎないで
“みんな”という幻想を 知って
その幻想に 苦しんでいる人が
たくさんいるんだよ
本当の幸せは
他人が決めることじゃないよ
それは 自分の中にあるものだよ
その幸せは
世間の幸せの基準と
同じとは 限らない
世間の基準に合わない
自分を 否定するのは
もう――
やめにして
−−−